猪名川コースを設計するにあたり、クレーン兄弟は、どのように臨んだのであろうか。浜コースでの経験を活かし、さらには多数のコース設計に関する文献を読み、素人同然だった浜コースの9ホール拡張の頃と比べれば、その設計の手腕は格段の進歩を遂げていた。
「概してコース各々趣きを異にしグリーンのシェープ及びフェアウェイの作り方に於てはH.C.クレーン氏が諸外国の多数のコース設計に関する書籍に独創を加味して考案せられたので中々良く出来ていると拝見した」(『ゴルフドム』1930年3月号、文・六麓生『鳴尾ゴルフ倶楽部の池田新コース』より)。
欧米の名コースの数々を視察し、後には自らコース設計を手掛けた伊藤長蔵も、その設計を高く評価している。
「このコースのルートの取り方やアレンジメントについては異論があるであろう。しかし与えられたる地区と、このルートに於いては各ホールは実に良く工夫されている。由来クレーン氏兄弟はグリーンの設計には実に妙手である。そのことは旧コースのアーキテクチュアに於いてすでに認められていた。この新18ホールスに於いていよいよその巧妙さが発揮されている。18ホールス一つとして類似の型は無く、バンカーの位置、マウンドの形、グリーンのアンジュレーションほとんど間然(非難)する所が無い。美観の点より云えば、ショートホールが良く出来ており、就中12番の如き欧米の一流コースに於いても稀に見るほどのものであろう。戦略的興味のあるホールは10番476ヤードが最たるもので、250ヤード以上のドライブは問題なく第二打で直接巨大な濠を越えてグリーンを狙うべきは問題ないが以下のドライブは左して迂回するか濠の手前にショートに打つか。そこが思案を要するところ。これが15,6番にあればマッチに一層の重大性をきすものである」(『ゴルフドム』1930年10月号『関西に恵れた二つの新コース』より)。
このように設計への評価は高かったが、当のクレーン3兄弟はその出来栄えに100%満足していたわけではなかった。当時、世界的に評価が高かった設計家で、後に「近代ゴルフコース設計の父」と呼ばれたハリー・コルトの弟子筋であり、設計事務所のパートナーであるチャールズ・ヒュー・アリソンが東京ゴルフ倶楽部の朝霞コース設計のために来日していることを知ると、廣野の設計を委ねるためにアリソンを訪ねるという髙畑誠一を介して、猪名川コースの視察と改善勧告書の提示を依頼している。