猪名川がメインコースになったとはいえ、鳴尾浜のコースもまた、活況を呈していた。鳴尾ゴルフ倶楽部のメンバーたちにとって、浜(鳴尾9ホール)と山(猪名川18ホール)、2つのコースを所有した1930年から1939年の9年間は、まさに至福の時代であったと言えるだろう。
「昭和9年11月18日に我が倶楽部としては、極めて珍しい試みがあった。それはM.N、I.M及びK.Mの三君が午前6時半に鳴尾リンクスの1番をスタートしてTyphoon Cup(18 holes)を争い、その余勢を駆って猪名川に直行、またもやMonthly Cup(18 holes)に参加したと云う、誠に頼もしい元気横溢なGolfである。俗にGolfの廻しを取ったとも云えよう。しかもK.M君は鳴尾で78でTyphoon Cupが取れず、猪名川では74netで遂にMonthly Cupを我が物として、いわゆる廻しに成功せられたと云う、極めて朗らかな、そして若者のみなし得る、聞くさえ愉快なGolfingであった」
これは1934年の社報「THE NARUO BULLETIN」に掲載された、浜(鳴尾)と猪名川の両コースの同じ日に行われた競技に出場した3人の若者のエピソードである。同日に両コースをラウンドするメンバーは、さすがに数少なかっただろう。しかし、2つのコースを使い分けるメンバーは多数存在し、その来場数をもとに作られた番付が出されるほどであった。