髙畑誠一の懇願を受け、廣野ゴルフ倶楽部の設計、茨木カンツリー倶楽部(東コース)、鳴尾ゴルフ倶楽部の改造・改修を引き受けたアリソンは、1931年1月、神戸にやって来た。オリエンタルホテルに滞在し、各ゴルフコースを訪れ、部屋にこもっては図面や勧告書を書き上げたという。
鳴尾ゴルフ倶楽部猪名川コースに対するアリソンの勧告は、数日間にわたりコースを視察したアリソンが、1ホールごとの改善案を詳細に記したものであるが、その記述にはもう一つ、これとは別の「改修計画書」が存在した可能性が示されている。
「これに先立つ“個別レポート”があって、それにグリーンやハザードの位置、形状の変更、等々が示されているようで、そのレポートの存在にはこの『勧告』の中でも触れられており、『勧告』はそれを補う役目も担っていると解釈できる」(ゴルフ史研究家・大塚和徳)
この「勧告」とは異なるもう一つのレポートは現存していないが、アリソンの勧告案はただの文章による改修指示書ではなく、より具体的なものだった可能性が高い。アリソンの勧告とその勧告に伴うコース改修についての詳細は、第5章をご参照いただきたい。
猪名川コースの誕生