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歴史

1904-1919

鳴尾の源流

鳴尾ゴルフ・アソシエーション運営の記録

鳴尾ゴルフ・アソシエーションの記録や資料は、運営されていた期間が短かったこともあり、数が少ない。しかし、残されたその資料からは、鳴尾ゴルフ・アソシエーションがゴルフクラブとして、組織的に運営されていたことがわかる。また、そのほとんどが英文であることを考えると、クラブを担っていたのが英国、欧州の人々だったことは間違いないだろう。鳴尾ゴルフ・アソシエーションに入会した日本人たちは、ゴルフのプレーだけでなくゴルフの本場、英国流のクラブ運営を、ここでに身につけることが出来たのだ。

鳴尾ゴルフ・アソシエーションの委員会が出した、1915年12月付のローカルルール、ゼネラルルール、エチケットに関する通達書
鳴尾ゴルフ・アソシエーションの委員会が出した、1915年12月付のローカルルール、ゼネラルルール、エチケットに関する通達書
1916年、久保正助のスコアカード
1916年、久保正助のスコアカード。アテストは南郷三郎(カード下段)
W.J.ロビンソンの署名が入った、1919年12月4日付の鳴尾ゴルフ・アソシエーション、メンバーへの回覧文書
W.J.ロビンソンの署名が入った、1919年12月4日付の鳴尾ゴルフ・アソシエーション、メンバーへの回覧文書。12月、1月の週末ごとの競技の案内、結果などが記されている
西村貫一が残した「日本のゴルフ史」取材ノートに貼られた、1920年4月20日のスコアカード
西村貫一が残した「日本のゴルフ史」取材ノートに貼られた、1920年4月20日のスコアカード。西村貫一自筆の「鳴尾ゴルフ・アソシエーションの最後を語るもの也」のメモが残されている

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