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歴史

1904-1919

鳴尾の源流

KR&ACから引き継がれた
アスレティシズムとジェントルマン精神

KR&ACの創設者アレキサンダー・シムは、神戸に住む外国人たちのために「スポーツ活動と社会活動を含めたようなクラブが必要である」(『KR&AC100年史』より)と考え、KR&ACを設立したという。シムの母国イギリスでは19世紀の初め、ラグビー校のトーマス・アーノルド校長が説いたアスレティシズム(Athleticism)という考え方により、スポーツの教育的意義が広く認められるようになっていた。

アスレティシズムは、ジェントルマンに必要な資質として、忠誠心や帰属意識、人格形成のための道徳観や価値観を身につけることを重視し、スポーツの実践によってそのような道徳観や価値観を獲得することができるという主張である。帰属するチームやチームメイトへの友愛・忠誠の精神や人格を養うためにスポーツが有効とみなされたのである。

横浜カントリー&アスレティック・クラブ(YC&AC)とKR&ACのラグビー対抗戦
1916年に横浜で行われた、 横浜カントリー&アスレティック・クラブ(YC&AC)とKR&ACのラグビー対抗戦。
写真上の文字「J.E」は、ラグビーの普及に大きな足跡を残したJ.エブラハム。 後に帰化し日本名「箙 譲衛(えびら・じょうえ)」を名乗った。 写真のJ.E.クレーン(ジョセフ・アーネスト・クレーン)だけでなく クレーン兄弟はいずれも、様々な競技に秀でたスポーツマンだった

イギリスでのスポーツクラブ、ゴルフクラブの発展にも、このアスレティシズムの思想は大きく寄与している。質の高いスポーツクラブやゴルフクラブに属することは、ジェントルマンとしてのきちんとした教養や精神を身に付けている証とみなされたからである。

スコットランドで生まれ、ロンドンで教育を受け薬剤師となり、香港でスポーツに親しんだKR&ACの創設者A.C.シムの「スポーツ活動と社会活動を含めたような」という言葉の背景には、このアスレティシズムがあった。そして、このアスレティシズムの精神は神戸ゴルフ倶楽部、横屋ゴルフ・アソシエーションを経て、鳴尾ゴルフ倶楽部へと、脈々と引き継がれている。

KR&ACの創設者アレキサンダー・シムは、神戸に住む外国人たちのために「スポーツ活動と社会活動を含めたようなクラブが必要である」(『KR&AC100年史』より)と考え、KR&ACを設立したという。シムの母国イギリスでは19世紀の初め、ラグビー校のトーマス・アーノルド校長が説いたアスレティシズム(Athleticism)という考え方により、スポーツの教育的意義が広く認められるようになっていた。

アスレティシズムは、ジェントルマンに必要な資質として、忠誠心や帰属意識、人格形成のための道徳観や価値観を身につけることを重視し、スポーツの実践によってそのような道徳観や価値観を獲得することができるという主張である。帰属するチームやチームメイトへの友愛・忠誠の精神や人格を養うためにスポーツが有効とみなされたのである。

イギリスでのスポーツクラブ、ゴルフクラブの発展にも、このアスレティシズムの思想は大きく寄与している。質の高いスポーツクラブやゴルフクラブに属することは、ジェントルマンとしてのきちんとした教養や精神を身に付けている証とみなされたからである。

スコットランドで生まれ、ロンドンで教育を受け薬剤師となり、香港でスポーツに親しんだKR&ACの創設者A.C.シムの「スポーツ活動と社会活動を含めたような」という言葉の背景には、このアスレティシズムがあった。そして、このアスレティシズムの精神は神戸ゴルフ倶楽部、横屋ゴルフ・アソシエーションを経て、鳴尾ゴルフ倶楽部へと、脈々と引き継がれている。

KR&ACでの様々なスポーツ
KR&ACではラグビー以外にも野球、 サッカー、テニス、陸上競技、 ボート、水泳、クリケット、 スポーツ登山、バスケットボール、 ボウリングなどの様々なスポーツが 行われていた
1901年にオープンした敏馬(みぬめ)のボートハウス
1901年にオープンした敏馬(みぬめ)のボートハウス

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