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歴史

1904-1919

鳴尾の源流

スポーツ普及の中心的役割を担った
神戸レガッタ&アスレチック・クラブ

大政奉還の翌年(1868年)に早くも諸外国に対して開かれた神戸は、良港であり大型船の入港が可能だったので、「天下の台所」と称された大阪以上に発展が期待され、多くの欧米人がやってきた。

横浜から神戸に移り住んだ者や、上海や香港から支店を出すべく移ってきた者など、貿易上の利益を追い求めて欧米、並びに中国から居留地民が集まり、社交クラブやスポーツクラブを中心とした社交・親睦活動も大変盛んとなった。整然として管理の行き届いた神戸外国人居留地は「極東のモデル居留地」と言われたという。

その神戸外国人居留地においてスポーツ普及の中心的役割を担ったのが、神戸レガッタ&アスレチック・クラブ(KR&AC)である。

「1870(明治3)年、来神ほどなく、アレキサンダー・キャメロン・シムAlexander Cameron Sim は、欧米人たちにスポーツクラブの創設を説き、多くの支持者を得た。また、並行して英、米などの領事の支援も取り付け、さらに日本の関係官庁とも交渉を始める。43名もの発起人によって会議が開かれたのは、9月の半ばのことだった。会則も提案され、選挙でシムを始めグルームら7名の委員が選ばれた。数日後、オリエンタルホテルで31名が出席、モースが議長を務め、先日の懸案を審議、可決された。ここに、KR&ACが正式に発足する。この記念すべき日は、1870 (明治3)年9月23日だった」(『神戸スポーツはじめ物語』髙木應光著より)。

現在も神戸市中央区に一般社団法人として残るKR&ACは、欧米人の単なる親睦団体ではなかった。サッカー、ラグビー、テニス、スポーツ登山、そしてゴルフなどで日本人との交流を積極的に行い、日本に様々なスポーツの種を蒔いている。

そのグルームが六甲山上に山荘を建てたのは、1895(明治28)年のことである。この風光明媚なグルームの別荘に集った欧米人仲間の中にはセント・アンドリュースでゴルフを嗜んだ者もおり「ゴルフをしてみようじゃないか」となったのが、やがて神戸ゴルフ倶楽部となる日本初のゴルフコース設立のきっかけとなったと伝わっている。そして4ホールのコースができたのは、1901年。神戸の欧米人仲間のスポーツ倶楽部「KR&AC」が誕生してすでに30年余りが経過した後のことである。

1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場式のスピーチにおいて、時の兵庫県知事、服部一三は「色々なる室外遊戯が外国から日本に輸入されまして、今日では大変盛んになって参りました。日本と外国との習慣の相異は、日本では屋外運動をする人は若い人と決まっていますが、外国では老人である点であります。(笑声)それが証拠に皆様の頭の毛を見て御覧なさい」(『日本のゴルフ史』より)と述べている。神戸ゴルフ倶楽部の創設メンバーの多くは、KR&ACでスポーツに長く親しんできた者たちであった。

クリケットを楽しんだKR&ACの人々
1917年、東遊園地(神戸市中央区)。メンバーの一人がニュージーランドに帰国する壮行会で、 クリケットを楽しんだKR&ACの人々。 東遊園地は当時「内外人遊園」と呼ばれた関西初の西洋式運動場だった。 前列右から4人目は、神戸ゴルフ倶楽部の開祖A.H.グルーム。 最後列、左から4人目はA.E.クレーン(アルバート・エドウィン・クレーン)。 最後列の右端は鳴尾ゴルフ倶楽部創立時のメンバーの一人、ジョーイ・エブラハム

大政奉還の翌年(1868年)に早くも諸外国に対して開かれた神戸は、良港であり大型船の入港が可能だったので、「天下の台所」と称された大阪以上に発展が期待され、多くの欧米人がやってきた。

横浜から神戸に移り住んだ者や、上海や香港から支店を出すべく移ってきた者など、貿易上の利益を追い求めて欧米、並びに中国から居留地民が集まり、社交クラブやスポーツクラブを中心とした社交・親睦活動も大変盛んとなった。整然として管理の行き届いた神戸外国人居留地は「極東のモデル居留地」と言われたという。

その神戸外国人居留地においてスポーツ普及の中心的役割を担ったのが、神戸レガッタ&アスレチック・クラブ(KR&AC)である。

「1870(明治3)年、来神ほどなく、アレキサンダー・キャメロン・シムAlexander Cameron Sim は、欧米人たちにスポーツクラブの創設を説き、多くの支持者を得た。また、並行して英、米などの領事の支援も取り付け、さらに日本の関係官庁とも交渉を始める。43名もの発起人によって会議が開かれたのは、9月の半ばのことだった。会則も提案され、選挙でシムを始めグルームら7名の委員が選ばれた。数日後、オリエンタルホテルで31名が出席、モースが議長を務め、先日の懸案を審議、可決された。ここに、KR&ACが正式に発足する。この記念すべき日は、1870 (明治3)年9月23日だった」(『神戸スポーツはじめ物語』髙木應光著より)。

現在も神戸市中央区に一般社団法人として残るKR&ACは、欧米人の単なる親睦団体ではなかった。サッカー、ラグビー、テニス、スポーツ登山、そしてゴルフなどで日本人との交流を積極的に行い、日本に様々なスポーツの種を蒔いている。

そのグルームが六甲山上に山荘を建てたのは、1895(明治28)年のことである。この風光明媚なグルームの別荘に集った欧米人仲間の中にはセント・アンドリュースでゴルフを嗜んだ者もおり「ゴルフをしてみようじゃないか」となったのが、やがて神戸ゴルフ倶楽部となる日本初のゴルフコース設立のきっかけとなったと伝わっている。そして4ホールのコースができたのは、1901年。神戸の欧米人仲間のスポーツ倶楽部「KR&AC」が誕生してすでに30年余りが経過した後のことである。

1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場式のスピーチにおいて、時の兵庫県知事、服部一三は「色々なる室外遊戯が外国から日本に輸入されまして、今日では大変盛んになって参りました。日本と外国との習慣の相異は、日本では屋外運動をする人は若い人と決まっていますが、外国では老人である点であります。(笑声)それが証拠に皆様の頭の毛を見て御覧なさい」(『日本のゴルフ史』より)と述べている。神戸ゴルフ倶楽部の創設メンバーの多くは、KR&ACでスポーツに長く親しんできた者たちであった。

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