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歴史

1904-1919

鳴尾の源流

鳴尾の源流

ひとりの男の熱情が、日本のゴルフの歴史を紡ぐ最初の糸となり、連綿と続く鳴尾スピリッツの礎となった。ウイリアム・ジョン・ロビンソン。決して忘れてはいけない恩人だ。彼がいなければ、日本ゴルフの歴史は浮動し、鳴尾ゴルフ倶楽部も存在しなかったかも知れない。いうまでもなく、鳴尾の歴史のはじまりは、ロビンソンのゴルフを愛する熱量に起因する。1903年、神戸ゴルフ倶楽部が生まれ、その源流を受け継ぐように横屋、鳴尾へとゴルフの水脈が流れた。ゴルフをこよなく愛する心とそれを支えた人物たちが「NARUO」の第一歩の足跡を遺した。

──三田村昌鳳

1901

アーサー・ヘスケス・グルームが日本で初めてのゴルフ場(4ホール)を六甲山上に開場し、1903年5月24日に神戸ゴルフ倶楽部を創立(1904年18ホール、3576y)【明治34年】

神戸ゴルフ倶楽部と横屋ゴルフ・アソシエーションを描いた挿絵 神戸ゴルフ倶楽部と横屋ゴルフ・アソシエーションを描いた挿絵
大正年間に発行された、登山とゴルフの英文機関誌「INAKA」に掲載された、神戸ゴルフ倶楽部と横屋ゴルフ・アソシエーションを描いた挿絵。 作者は「INAKA」の編集人で、1915年の日本アマチュアゴルフ選手権の優勝者でもある、H.E.ドーント(神戸ゴルフ倶楽部、1921年度理事長)。この挿絵は「日本のゴルフ史」のカバーにも使用されている
1904

横屋ゴルフ・
アソシエーション
(6ホール、1196y)創立

鳴尾ゴルフ倶楽部のクラブスピリットの原点とも言える横屋ゴルフ・アソシエーションが創立したのは...

日露戦争開戦(~ 1905年)

1913 大正2年

横屋ゴルフ・アソシエーションに
初の日本人会員、安部成嘉が入会

横屋ゴルフ・アソシエーション閉鎖

1914 大正3年

鳴尾ゴルフ・アソシエーション
(9ホール、2404y)創立

新しい専用のクラブハウスが完成し、日本人の会員(安部成嘉)も加わり、 順風満帆かに思えた横屋ゴルフ...

1908年の鳴尾速歩競馬場
1908年の鳴尾速歩競馬場。 1910年に廃止され、1914年、その跡地に鳴尾ゴルフ・アソシエーションが開場した

第一次世界大戦開戦(〜 1918年)

現在の地図で見た、関西競馬場と鳴尾速歩競馬場の位置
現在の地図で見た、関西競馬場と鳴尾速歩競馬場の位置
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