鳴尾浜に本格的なリンクスができるも移転を余儀なくされたクレーン3兄弟は、猪名川の土地と出会った瞬間、間違いなくこの地にリンクスの香りがするコースをもう一度造ろうと決心したに違いない。この緩かな渓谷はゴルフ場に最適だと確信し、18ホールのルーティンを書き上げた。翌31年アリソンが訪れ幾つかの提言を残したが4番と10番に至っては手直し無しの太鼓判。他のホールはフェアウエーを広げたり、バンカーの深さや配置を指示した。この瞬間世界に誇れる「山のリンクス」が完成したのだった。
鳴尾ゴルフアソシエーションから始まり紆余曲折があったからこそ、メンバーの想いが募り「山のリンクス」を作りあげたのだと思う。
今こうして鳴尾ゴルフ倶楽部の風景をカメラに収めているとその当時の想いがひしひしと伝わってくる。アウト・インのスタートホールの朝日の感じ方、ホームホールの夕陽の味わい、4つのパー3の風の難しさ、挑戦欲を掻き立てるバンカーの配置、社員(メンバー)が人生の長きにわたりゴルフを愉しむことができるよう先人たちは工夫を凝らした。
そこにはお酒でもないのに、いつのまにか酔っている自分がいた。