“鳴尾の流儀”は世界の正攻法
文/川田太三
(ゴルフコース設計家。R&A、USGA競技委員。R&A、パインバレーGC会員)
R&Aやパインバレーでクラブライフを少しながら体験した私にとって、鳴尾のそれは理想に近いと思える。鳴尾イズム(流儀)を具体的に検証してみたい。
鳴尾の流儀1 「会員に男性、女性の区別がない」
クラブの本質は会員がみな同じ価値観を共有し、平等ということにある。だから基本的には規則の類はなく、不文律によって運営されるのが理想である。鳴尾には「余計な機能を持たない、ゴルフに特化したクラブである。ゴルフをするために集まり、心地よくプレーするためにどのように行動すればよいか、明文化することはないが、基本原則はクラブの中で家訓のように受け継がれている」という不文律が伝統として受け継がれてきた。見事である。
鳴尾の流儀2 「法人会員がいない」
法人会員は得てしてその法人の中でヒエラルキーを生む。そして接待などビジネスにも利用されがちだ。こうなると個人が純粋にゴルフを楽しむという主旨から外れてしまう。日本のゴルフはこれで発展してきたという経緯はあるものの、本来のクラブライフから逸れるという意味で、鳴尾の決断は真っ当だったと思う。
鳴尾の流儀3 「会員権の売買が出来ない」
会員権の売買が市場で行われると会員権そのものに値段がつき、商取引の対象になってしまう。こうなると会員は無差別に入会できるようになり、同じ価値観を持つ人達の集いではなくなる恐れがある。
私が入会しているR&Aやパインバレーでは“なりたい人”ではなく、“なってもらいたい人”を会員にというのが不文律である。そういう精神がなければ真のクラブは保てないのだろう。
鳴尾の流儀4 「クラブが自主運営されている」
自主運営はクラブとして根幹をなすものだと思う。会員一人ひとりが平等に各委員会に入り、課題に取り組むのだから会員同士の結束が固くなるのは必定だろう。
これらは究極の民主主義というべきものだが、注意すべきことがある。指導者、理事にはなりたい人ではなく、なってもらいたい人を選出すべきである。これは入会する会員のところでも前述したが、指導者はクラブの会員たちがそれにふさわしい人を以心伝心で選出する。この以心伝心というのがクラブにとって大事なことと私には思える。自分からなりたい人は、得てしてイエスマンをまわりに配して独善に陥りがちになる例を、私は何度か目にしてきた。間違ったことを正すにはその3倍の復元力を要する。
鳴尾のクラブ運営は、日本では数少なくなったプライベートクラブの姿であり、今後も残していくべきものであろう。
鳴尾の流儀5「食堂も自主運営」
快適なクラブライフを送るには当然のことなのだが、日本ではそうでないことも多い。会員にとってクラブハウスは自分の家も同然であろう。自分の家の食堂に外のコックを呼びはしないだろう。それと同じことである。
鳴尾の流儀6 「年間70以上の競技が行われている」
会員にとって、競技の数が多いことはそれだけ楽しみが増えることだから嬉しいことだし、会員間の親睦もいっそう増すことだろう。また、ストロークプレー以外の競技方法がこれだけ残っているクラブも日本には数少ないことだろう。
日本ではスコア至上主義で、ストロークプレーしかゴルフにはないと思っているゴルファーも多い。しかし、かの英国ではストロークプレーはプロゴルファー以外、しないといっても過言ではない。たいていは2ボールマッチか、ステーブルフォード。英国のゴルフの格言に「親友は3人持て」という言葉があるのは、3人いなければ2人組んでのマッチ(計4人)が成立しないからだ。19番ホールはギネスビール片手にその話で盛り上がる。
全英オープン開催コースのミュアフィールドでは、4ボール(ストロークプレー)は火曜、木曜の午前中しかスタートは取れない仕組みになっている。ふだんは2ボールでしかスタートできない。これはストロークプレーを金科玉条とする米国人ビジター相手の措置である。この点からいっても、鳴尾は充実したクラブライフを満喫できる場所といっていいだろう。
鳴尾の流儀7 「日曜日はメンバーオンリー」
鳴尾の会報誌に載っていたこと。「日曜日はメンバーオンリーなので、プレーヤーも従業員も知らない人間はいない。クラブハウスでは家族といる時と同じ居心地のようであり、あえて口に出さなくてもお互いが理解できる空間が現出される」
これには、私には1つの提案がある。日曜日、1組だけビジターを入れてみてはどうかということ。ビジターは鳴尾のクラブライフの良さを体感できるだろうし、メンバーもビジターへのホスピタリティーを学ぶことが出来よう。
パインバレーでは日曜日の午後1時すぎから女性のビジターを、会員同伴でプレー出来るシステムになっている。ビジターとメンバーのありようが私には考察出来たと思う。
もちろん、その提案は限定的であってもいいし、不都合なことが起きたらやめてもいいことだ。ただ私は鳴尾のメンバーライフの素晴らしさを、多くの人に知ってもらいたいと思うのである。
私からのもう1つの提言
鳴尾は開場100年を経て以降も歴史を紡いでいくだろう。そこで私は鳴尾の歴史として些細なことでもいいから、会員たちのエピソードを書き綴って残して欲しいと思う。それらのことを会員たちがいい伝え、それが鳴尾の歴史を活写していくことになると思うからだ。
パインバレーには開場以来、さまざまなエピソードが膨大に残されている。それを時には話に尾ひれがつき、ユーモア、ウィットをまぶして100年前の出来事を今起きたかのように話す会員たち。私はそれを微笑ましいと思った。
クラブにおいて、歴史を重ねていくということはそういうことだろうと思うのだ。